1917年のロシア革命前、明治時代から昭和初めまで、ウラジオストク(浦潮)、ハバロフスク(哈府)、ニコラエフスク(尼港)、ブラゴヴェシチェンスク(武市)、ニコリスク(現在ウスリースク)、チタなど極東ロシア・東シベリアの各都市には日本人居留民が数千人定住していました。1876年、ウラジオストックに日本の貿易事務官、また長崎との間に定期便航路を開設して以来、日本人が帝政ロシアに渡り、ウラジオストックの在留日本人数がますます増えていきました。ウラジオストクには当時、居留民が多数住んでいた日本人街、総領事館、日本人小学校などもあり、更に日本人居留民会と共に「浦潮日報」も創設されました。1886(明治19)年、西本願寺は布教活動を開始し、浦潮本願寺布教所が置かれます。1898(明治31)年にはハバロフスク分教場も置かれます。(1904年、日露戦争が勃発して以来、日本人居留民は殆ど帰国しましたが、終戦後戻りました。)堀江直造という人物は初めから(1902年)日本へ引き揚げるまで(1922年)ウラジオストック日本人居留民会会頭を勤めていました。ハバロフスクにも日本人が居留民会を築き、その代表は愛知県生まれの竹内一次という人物でした。
1917年10月にロシア革命が始まった後、1918年8月に居留民保護を口実に日本、イギリス、米国がウラジオストックに軍艦を派遣し、日本陸軍第12師団が上陸し、日本政府が公式にシベリア出兵を宣言しました。その後日本軍は極東ロシア各地で7万人以上の軍隊を展開し、激しい戦闘を繰り広げました。
1918年夏に、シベリア出兵直前、極東ロシア・シベリアの在留日本人の人口はおおよそ8000人に及び、一番多かったのはウラジオストクでした。ウラジオストクにはおおよそ3500人、ハバロフスクには600人余りの居留民が住んでいました。シベリアの在留日本人は主に商業や運輸・サービス業に従事していましたが、中には一時的な出稼ぎや無届の人もあり、一部は娼婦でした。
竹内一次は1896年(明治29年)に帝政ロシアのハバロフスクに渡り、フルーンゼ通り(旧名:プロトヂヤーコノフスカヤ通り)がムラビヨーフ通りと交差する角に木造家屋を借りて写真屋を開業しました。1910年に外国人で初めてハバロフスクの繁華街ムラビヨフ・アムールスキー通り7番地(現在5番)のウスペンスキー教会保有土地にロシア正教の許可の元、大日本帝国極東貿易を設立し、ホテル『ルーシ』の建設に着手しました。設計はロシア人技師、建設業者は中国人でした。大日本帝国極東貿易はホテル、レストラン、百貨店の機能を持つ複合ビルでした。建物の目立っている部分は正面入り口上のロシア風丸屋根と竹内家の家紋「笹りんどう」です。シベリア出兵時代、ここには大日本帝国軍司令部(第14部隊大井大将)が置かれていました。1920年にシベリア出兵の日本軍第14部隊の引き揚げとともにロシアと永遠に別れを告げました。
ソビエト時代には、中央政府はハバロフスクを極東開発の拠点として重視し、機械製造工業や金属加工業や木材業、建設業,食品工業など様々な産業部門の発展を推進しました。また、極東ロシアでは外国人開放都市として指定されました。ハバロフスクは,シベリア鉄道の重要な拠点駅であり,ロシア国内をはじめアジア太平洋地域の主要な諸都市と航空路で結ばれる極東ロシアの交通の要衝です。極東ロシアの東の門戸と言われるハバロフスクはソウル、ハルビン、北京のほか、旧ソ連とロシアの31都市と空路で結ばれています。特に、モスクワ、サンクト・ペテルブルグ、タシケント、キエフ、バクー、ウラジオストック、イルクーツク、クラスノヤールスク、ヤクーツク、ユジノサハリンスクとの国内線が充実しています。日本とは新潟との間に週2便(金、月)の国際線の定期便も運行しています。現在は新潟市と姉妹都市になっています。ちなみに、1965年4月、新潟・ハバロフスク姉妹都市協定が締結された為、2005年に40周年を祝いました。また、青森県とハバロフスクの間では友好交流が活発に行われ、2003年7月7日に『みちのく銀行』ハバロフスク支店がオープンしました。(しかし、ロシアに1999年、日本の銀行として初めて積極的に進出した青森の『みちのく銀行』は、2007年末で閉鎖され、ハバロフスク支店も閉店し、モスクワの現地法人はみずほコーポレート銀行に売却されました。)ゴルバチョフのペレストロイカによりウラジオストクなどが開放都市となっても、ハバロフスクは行政、経済、文化の中心地としての地位を失っていません。
ハバロフスクには、博物館、コンサートホール、劇場などの文化施設、また工科大学、鉄道運輸大学、医科大学、教育大学、ロシア正教の神学大学などの高等教育機関やロシア科学アカデミーの支部、学術研究所がたくさんあります。
プーチン大統領は2000年5月13日に、ロシア全土を7つに分けた連邦管区制を設置しました。ハバロフスクは、ロシア極東連邦管区の首都となりました。ハバロフスク市は2005年、また2007年、全国コンクールでロシアの約700の都市の内、『最も良く整備された、住み心地の良い都市』として一等賞を2回授与されました。また2007年、「ゴールデン・ルーブル」と呼ばれる全国ロシア第5回コンクールが行われた結果、「ロシア連邦における経済の最も高い成長率を示している都市」としてハバロフスクが一等賞を授与されました。
中心街は平行して走る3本の丘の上に広がり、昔小川が流れていた2本の谷間は並木通りとして整備され、市民の憩いの場所となっています。町並みは緑に恵まれており、数々の公園には落ち着いた雰囲気が漂っています。白い大理石や煉瓦造りの近代的な建物が多く、古い木造家屋も所々に残っています。夏の陽射しをやわらげるポプラの一種ドロノキやニレや白樺の街路樹は美しいものです。
郊外へ足を伸ばすと、町の南は風光明媚なヘフツィールという山脈に囲まれ、クマ、シカ、アムール虎なども姿を見せる動物の自然保護区になっています。ここには、アムール川とその支流ウスリー川の合流点にある、ロシアと中国の共同管理に置かれている大ウスリー島/ボリショイ・ウスリースキー島(中国語名:黒瞎子島Heixiazi Dao ヘイシャズダォ)があります。2004年10月14日に調印された中ロ国境協定に基づき島の西側半分が中国領土、東側がロシア領土です。ここは中国東北部の黒竜江省との国境隣接地帯です。今年、黒竜江省ジャムス市政府は大ウスリー島一帯を中ロ国境貿易地区として開発する計画案を提出しました。またジャムス市中部の同江(中国語名:トンチャン)県前進区(中国語名:チェンジン)と中国最東端地点の町撫遠(中国語名:フーユアン)を結ぶ全長約170キロの鉄道の建設がまもなく始まる予定です。ハルビン鉄道の北の終点である前進駅を起点として工事が行われ、開通は2年後の計画です。この鉄道の運転が開始されると、中国東北部の大都市ハルビン、長春(チャンチュン)、瀋陽(シェンヤン)方面から国境の町撫遠市への直通列車が走る予定です。さらにこの鉄道を対岸のシベリア横断鉄道と連結する予定になっているほか、国際線の4C級空港の建設プロジェクトが計画されています。その為、本鉄道の運転と新空港のオープンはロシアと中国両国間の観光と貿易の更なる発展のために重要な役割を果たすことでしょう。現在、ハバロフスクは極東ロシアやハバロフスク州の中心都市として目覚しい発展を遂げつつあります。
2008年4月3日から7日にかけてモスクワでCIS(ソ連解体後、ロシア連邦をはじめ11の共和国で構成される独立国家共同体)国際フォーラム「メガロポリス21世紀」が開かれました。このフォーラムにはロシア連邦、ベラルーシ、アルメニア、カザフスタン、キルギスタン、モルドヴァ、タジキスタン、ウクライナ、グルジアなどCIS諸国の96の都市が参加しました。本フォーラムの最重要イベントとなったのは、CISベストシティーランキングです。ロシア連邦の30の都市の中で受賞者に選ばれたのは、ハバロフスク、ノボシビルスク、カリニングラード、ウファ、ペトロパヴロフスク・カムチャツキーの5つの都市です。ハバロフスク市は、保健医療福祉改革の達成成果、投資政策と住宅政策の社会的方向性、協力関係の開発、都市の快適性と緑化という4つの指標で『CISベストシティー賞』のナンバーワンにランクされました。CISベストシティー賞を受けるハバロフスク市は、2008年5月31日に創立150周年記念日を迎える都市です。
ハバロフスク市はハバロフスク州の首府であり、行政、経済の中心地でもあります。ハバロフスク州はロシア連邦の一番東方に位置しており、オホーツク海と日本海に面しています。南北は約1800キロ、東西は約500キロ、海岸線は約2500キロ、総面積はかなり広く、約78、8万平方キロ(日本の総面積の約2.2倍、新潟県の約63倍)です。地球上の大河の一つであるアムール川は、ハバロフスク州を流れています。ハバロフスク州は、17郡と7の都市で構成されています。人口は約143万人に及んでおり、ロシア全土の1.1%です。都市部の人口は州全体の90.2%を占めています。ハバロフスク州の都市では、ハバロフスク市に次いでコムソモリスク・ナ・アムーレ市(人口約30万人)が2番目で、アムールスク市(約5.8万人)は3番目です。
(ハバロフスク州はハバロフスク地方とも言いますが、ロシア語で Хабаровский край です。ハバロフスク州はいくつかの郡にわかれ、ハバロフスク市周辺の土地はハバロフスク郡を構成しています。
ロシア全土は行政的にフェデラーリヌィ・オークルグ(федеральный округ 連邦管区)、オーブラスチ(область州)またはクライ(край 地方)、その次にライオーン(район 郡/地区)に分かれています。いくつかの郡は州を構成しています。Область州は比較的に面積の大きくないものですが、край地方は面積が大きく、他の州も入る行政的単位です。
ハバロフスク地方はソビエト時代には、ユダヤ自治州も含めて、ハバロフスク地方と呼ぶのが、通常でした。しかし、ソ連解体後、ユダヤ自治州が独立しましたが、ただ Хабаровский край ハバロフスク地方という名前は昔のまま残っています。ハバロフスク地方とハバロフスク州の両方とも正しいです。)
ハバロフスク州には旧ソ連を構成していた約140の民族が住んでいます。
人口の86%はロシア人とその混血です。また昔からアムール川流域とハバロフスク州北部地域にはツングース系の北方少数民族(人口の1.4%)が住んでいます。
人口の構成は下記の通りです。注意:ここに記載されている数字は2007年のものです。

ハバロフスク州では森林が約68%、山岳地帯が70%以上を占めています。天然資源に恵まれたハバロフスク州では鉄鉱石、石炭、非鉄金属、貴金属、マンガン、石墨、泥炭、水銀、燐鉱、ダイヤモンド原石、そしてまた木材、毛皮、魚類、漢方薬の原料なども採れます。ハバロフスク州には、ロシアでも有数の錫の産地ソールネチヌィという産地があり、錫の採掘・加工は主としてコムソモリスク・ナ・アムーレ市で行われています。
ハバロフスク州では様々な産業部門が飛躍的に発達しています。主要な産業は、金属加工や機械(ディーゼル、航空機、船舶、動力機械、金属切削機械、ケーブル製品の製造)、林業、木材加工業、パルプ製紙業、非鉄金属、燃料工業、漁業などです。またハバロフスクとコムソモリスク・ナ・アムーレ市に精製所が2カ所あり、年間に1,000万トンの原油を精製しています。そしてまた製薬工場、製粉工場、植物油製造工場、アルコール工場、肉加工工場、ビール醸造工場などがあります。主要港は、日本海に面するヴァニノとソビエツカヤ・ガヴァニです。ハバロフスク州は、ロシアの国内総生産(GDP)の約1.5%を占めています。