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22.08.2017 ハバロフスクにおける過去の出来事。130年前、ロマノフ家の代表者の一人アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公が極東ロシアを訪問。


130年前の1887年(明治20年)8月下旬、ロシアのロマノフ王朝の血を引くアレクサンドル・ミハイロヴィッチ大公(1866~1933)が極東ロシア・シベリア視察旅行の際、ウラジオストック、ハバロフスクを訪問しました。ハバロフスクを訪問中のアレクサンドル・ミハイロヴィッチ大公は同市初の慈善病院を設立し多額を寄付し、その後も長年にわたってそのさらなる発展のために寄付金を送りました。

ロマノフ家の代表者でハバロフスクを最初に訪問したのは、皇帝アレクサンドル2世の四男アレクセイ・アレクサンドロヴィッチ大公(ハバロフスク訪問年次:1873年5月)で、次はアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公(1887年8月)となりました。ロマノフ家の代表者で三番目にハバロフスクを訪れたのは、皇帝アレクサンドル3世の長男ニコライ皇太子(のち皇帝ニコライ2世)でした(1891年5月)。

アレクサンドル・ミハイロヴィッチ大公(愛称:サンドロ)は皇帝ニコライ1世(1796-1855)の四男ミハイル・ニコラエヴィチ大公(1832-1909)の四男であり、帝政ロシアの最後の皇帝ニコライ2世(1868-1918)の義理の兄弟とされています。彼は1887年に海軍士官としてコルベット(軽巡洋艦)ルインダ号で太平洋に航海を行い、大日本帝国を訪問しました。東京大学の史料では、『アレクサンドル・ミハイロヴィチ大公は日本に二年近くも留まり、日本から太平洋地域の他の諸国を巡る航海も組まれていた。ほぼ三ヶ月ごとに、ルインダ号は長崎を出航し、フィリピン諸島、インド、オーストラリア、セイロン、フィジー、その他、太平洋とインド洋の島々を訪問した。』と述べられています。

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東京大学史料編纂所研究紀要 第24号 2014年3月 ページ248-249