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24.07.2015 黒田清隆伯爵のロシア・シベリア訪問について


1886年/明治19年7月下旬129年前)、 黒田清隆伯爵(前北海道開拓使長官、当時、内閣顧問、のちに2代内閣総理大臣)がシベリア欧米視察旅行の際、ハバロフスクを訪問しました。                           同年6月23日、陸軍中将の黒田清隆伯爵は6人と共に横浜を出発し、途中長崎、釜山を経由し、シベリアへ向かいました。7月 7 日、ウラジオストックに上陸しました。それから海路を取り、サハリン島及びアムール川の河口にあるニコラエフスク・ナ・アムーレを訪問し、ここで汽船に乗り換えてシベリア横断旅行を始めました。初代プリアムール総督(別名:黒龍江政区総督) コルフ氏に付き添われてアムール川を遡り、同年7月26日夕方にハバロフカ(今のハバロフスク)に着きました。人口約4千人のハバロフカを視察し、地図や見聞したことを『環遊日記』に詳しく書きました。黒田清隆氏は、『環遊日記、』の中で、ハバロフスク について次のように記しています。「ハバロフカ」ハ烏蘇里河の黒龍江ニ合流する右岸ニシテ北緯四十八度二十八分、東經百三十四度三十七分の處ニ在り地形江ニ沿テ高敝ナリ地勢東ハ順流「ニコラエフスク」ニ直下スルノ便ヲ占メ南ハ烏蘇里河ニ由リテ浦潮斯徳ニ達スルノ衝ニ當ルヲ以テ近年人口稍繁殖ニ赴キシカ又一昨年此地ヲ黒龍江政區ノ首府ト定メ經營ニ從事シ道路ノ區畫、家屋ノ建築等、規模頗ル宏大ナリ聞ク人口凡四千人ニ上レリト「コルフ」氏ノ話ニ云フ「ハバロフカ」ニ一ノ寺アリ曾テ「ムラウヨフ」ガ愛琿ニ於テ淸官ト条約ヲ議スル時ニ「ハバロフカ」ニハ既ニ露西亜ノ建物アリト宣言シ竊ニ人ヲ遣リ急ニ此寺ヲ建築セシメ一夜ニシテ成就セリト以テ露人ノ早クヨリ此地ニ注目セシヲ知ルベシ・・・・」 黒田清隆 著 『環遊日記, , 1887 p. 66】

 

その後アムール川を遡りブラゴヴェシチェンスクを経てスレチェンスク、チタ、イルクーツク、クラスノヤルスク、トムスク、トボリスク、ペルミ、ニジニーノヴゴロドその他の町を訪れました。モスクワ(9月8日)を経てサンクトペテルブルグ(同月 30 日)まで辿り着きました。 

1886 年/明治19年10 月 28 日に黒田清隆はコンスタンチノープルに辿り着き、ついで欧米を訪問しました。1887 年/明治20年4 月21 日に帰国、11 月に「環游日記」全 3 冊20)を出版しました。帰国後、1887年/明治20年に第1次伊藤内閣の農商務大臣となり、伊藤の後をうけて翌年1888年/明治21年に第2代内閣総理大臣、1892年/明治25 年、第2次伊藤内閣の代逓信大臣となりました。)

 

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