メール サイトマップ



天気情報



GISMETEO: Погода по г.Хабаровск

GISMETEO: Погода по г.Москва

GISMETEO: Погода по г.Токио



対ルーブルの外貨両替レート


ニュース


05.04.2016 4月5日、ハバロフスクにおける過去の出来事


ハバロフスク武装解除事件について

 

1920年/大正9年(96年前)4月下旬、ロシア内戦の最中にあったハバロフスクでは日本帝国の派遣軍と赤軍の間に激しい戦闘が起こりました。

4月5日の朝、日本派遣軍は、ハバロフスクの革命派(過激派)に対して市街戦を開始し広範囲に攻撃を行い、大打撃を与えました。翌日には日本軍が勝利をおさめ、赤軍の約8,500人は武装解除されましたこれを「哈府(ハバロフスク)武装解除事件」とも呼んでいます。この日の市街戦でロシア人約2,500人、日本派遣軍の83人、ハバロフスク在留日本人6人が戦火に巻き込まれ戦死しました。(内戦当時、ハバロフスクの人口は約5万人でした。)同年4月29日に日本はウラジオストク臨時政府と以下のような条件で講和した。『ロシアの武装団体はどのような政治団体に属するものであっても日本軍駐屯地及びウスリー鉄道幹線並びにスーチャン支線から30キロ以内には侵入できない。 また、この圏内のロシア艦船、兵器、爆弾その他の軍需材料、兵営、武器製造所など、すべて日本軍が押収する。』当時、極東ロシアで発生した事件の中ではハバロフスク武装解除事件は、尼港(ニコラエフスク)事件(犠牲者約6,000人)と並んで最も悲惨な出来事の一つとなりました。

出典:フリー百科事典『ヴィキペディア(Wikipedia)』)

Link 1

 

Link 2