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03.06.2016 ロシア皇太子ニコライ、125年前のハバロフスク訪問


今から125年前の1891年5-6月、ロシア皇太子ニコライ(23歳)はシベリア横断鉄道の起工式に際してウラジオストクとハバロフスクを訪問しました。(日本では後年にロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世になったニコライ皇太子は、大津事件で知られている人物す。1891年5月11日に日本を訪問中のロシア皇太子ニコライが大津市で巡査津田三蔵により襲撃されました。)                     

1890年10月、ニコライ皇太子は随行者8人と共にサンクトペテルブルグを出発し、1891年8月にかけてオーストリア、ギリシャ、エジプト、英領インド、タイ、フランス領インドシナ、中国、日本などヨーロッパ・アジアの12ヶ国とシベリア・中央ロシア各地をまわる9ヶ月以上の世界旅行を実施しました。

1891年5月下旬、ウラジオストクで催されたシベリア横断鉄道の起工式に参加したニコライ皇太子が汽船「ベストニック号」でアムール川の支流ウスリー川を下りハバロフスクへ向かい、シベリア横断旅行を始めました。6月10日(ロシア旧暦5月29日)、ハバロフスクに到着し、大聖堂広場で市民から盛大な歓迎を受けました。この日に彼はウスペンスキー教会を訪ねて特別なミサに列席した後、軍事パレードを参観しました。夜は初代プリアムール総督コルフが皇太子のために歓迎レセプションを催しました。翌日、ハバロフスクの創立者といわれるムラブヨフ・アムールスキー伯の銅像除幕式に参加し、午後はハバロフスク近郊のビャツコエ村も訪ねました。(ハバロフスクから北70キロ程離れた森の中にあるビャツコエ村というところは後年、北朝鮮の金正日の出生地となりました。)その後、2日間のハバロフスク滞在を終えて、汽船「ムラブヨフ・アムールスキー伯爵号」に乗り、コルフ総督に付き添われてアムール川を遡り、ブラゴヴェシチェンスクへ立ち寄りました。ついでスレテンスク、ネルチェンスク、チタ、ヴェルフネウジンスク、イルクーツク、クラスノヤルスク、トムスク、トボリスク、オムスク・オレンブルグ、サマーラ、モスクワなどシベリア・中央ロシア各都市を歴訪した後、8月16日(旧暦4日)、サンクトペテルブルクに辿り着きました。

http://kfss.ru/content/vostochnoe-puteshestvie-cesarevicha-nikolaya-vostochnaya-sibir-ch3


ニコライ2世  Romanov Nikolai Aleksandrovich  1868~1918年  ロシアの皇帝ロマノフ王朝第14代にしてロシア帝国最後の皇帝。在位1894年11月1日-1917年3月15日。2月革命でニコライ2世は プスコフで退位させられ8月に皇后や5人の子どもとともにシベリアのトボリスクに流された。また、ボリシェビキによる十月革命ではエカテリンブルクへ移され、後1918年7月17日午前2時33分、皇帝一家はボリシェビキの初代指導者ウラジーミル・レーニンの命令によって全員銃殺され、近くの村に埋められた。エリツィン時代、1991年その遺体は掘り起こされ、改めて遺骨のDNA鑑定が行われた後、ロシア正教会は他のソビエト革命の犠牲者とともにニコライ2世とその家族を列聖した。 出典: フリー百科事典『ヴィキペディア (Wikipedia)』など。