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19.07.2016 ハバロフスクにおける108年前の出来事、日本人居留民が歯科医院を開業


108年前の1908年(明治41年)7月中旬、ハバロフスク中心部のポロトジャカンスカヤ街улица Протодьяконовская23番地(現フルーンゼ通りулица Фрунзе、現在のユダヤ教のシナゴーグ周辺)番地にて長崎出身の古城藤吉氏が歯科医院を開業しました。

1876(明治9年)生まれの古城藤吉氏が1907年(明治40年)6月25日に浦潮斯徳(ウラジオストク)に上陸し、7月中旬ニコリスク市(現ウスリースク)において歯科医院を開業しました。しかし、翌年1908年(明治41年)7月中旬ハバロフスク市に転住し歯科医業に従事し1920年(大正9年)3月29日ハバロフスク市引揚げまで約14年間居住しました。

明治・大正時代のハバロフスクにおける日本人歯科医師活躍についていいますと、国立公文書館アジア歴史資料に登場するのはまず北海道函館出身の山本子之吉という方です。彼は1899年(明治32年)12月にハバロフスクに渡航し歯科医業に従事し約3年間居住しました。山本子之吉は、ハバロフスクに渡り居住した初めての日本人歯科医師になったといっていいでしょう。山本子之吉については、次のように記されています。『日露戦役ノタメ被損害金高御届 北海道函館大森町十二番地 平民戸主 歯科医 山本子之吉 明治三十弐年十二月露領(ハバロフスク)市渡航開業致茲ニ三ヶ年ニメ(ニコリスク)市ヘ転居則チ明治三十五年三月開業継続致居タル処明治三十七年二月日露開戦ニ付依然引上ク之御命ニ接シ助時ノ事故一品ダニ携帯スルノ暇奥之同日浦塩港ノ引上ゲ船迄着ノ上帰国致シタル・・・』

ついで明治39年春、愛知県の金山駿五郎という日本人歯科医がハバロフスクに渡航し、医術開業権許可を受け取りました。初めは当時のホテル『ハバロフスク』(現ムラビヨフアムールスキー通りулица Муравьева-Амурского3番地、現ブランドショップ『Bottichelli』)の一室を借り受け歯科医院を開き、翌年リスノーフスカヤ街улица Лисуновская(現コムソモリスカヤ通りулица Комсомольская69番地)にある地元の実業家ズバイコフ所有の賃貸建築に移り、合計2年間積極的に治療を行いました。(帰国後、金山駿五郎は豊橋歯科医学講習所を開きました。)

国立公文書館アジア歴史資料によると、明治・大正時代、ハバロフスクに渡航し歯科医業に従事したのは、山本子之吉や金山駿五郎や古城藤吉のほか、福岡県朝倉郡出身の森本重夫(古城藤吉の娘のつれあい)、熊本県天草郡出身の濱田良太などです。

1917年(大正6年)10月初旬から1918年(大正7年)5月下旬までハバロフスクにおいて、森本重夫が医科医術をもって治療に従事していました。ハバロフスクについては森本重夫歯科医学士の記事『シベリアより帰って』が医科医報(連載9枚)、東京薬事新報など大正時代の新聞・雑誌に掲載されました。

 

出典:国立公文書館アジア歴史資料センター

 

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