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25.07.2016 130年前の露日関係史の出来事、黒田清隆伯爵がハバロフスクを訪問


130年前の露日関係史の出来事、黒田清隆伯爵がハバロフスクを訪問

 

ちょうど130年前、露日関係史において注目すべき出来事が起きました。黒田清隆伯爵が約200日間のシベリア・欧米視察旅行の際、1886年(明治19年)7月にウラジオストクとハバロフスクを訪問しました。陸軍中将の黒田清隆伯爵といえば明治時代の政治家であり、日本の第2代首相として知られています。

同年6月23日、陸軍中将の黒田清隆伯爵は随行者6人と共に東京を出発し、途中長崎、釜山、元山津(現北朝鮮の元山市を経由して極東ロシア・シベリアへと赴きました。7月 7 日、ウラジオストクに上陸し、ここに7日間滞在し町全体を視察しました。ウラジオストク訪問の際、黒田清隆は初代プリアムール総督(別名:黒龍江政区総督)アンドレイ・コルフ(Andrey Korf)中将・男爵、帝政ロシア海相イワン・シェスタコフ(Ivan Shestakov)提督、ウラジオストク軍務知事のアレクサンドル・フェルドガウゼン(Alexandr Feldhausen )海軍少将など当時の名高い政治家と会談しました。ウラジオストク港から沿海州東海岸を北航し、サハリン(樺太)島のアレキサンドルフカ(現アレクサンドロフスク・サハリンスキー)やヅエ及び日本海北西岸にあるデカストリを経てアムール川河口の町ニコラエフスク(現ニコラエフスク・ナ・アムーレ)に辿り、初めにここから汽船、ついで馬車や列車による86日を要したシベリア横断旅行の旅をスタートさせました。コルフ男爵に付き添われてアムール川を遡り、7月26日夕方19時00分頃にハバロフカ(現ハバロフスク)に着きました。

ロシア・シベリアで見聞したことを日記に詳しく書きました。黒田清隆の『環遊日記』は、ハバロフスク滞在中の記事の内容も町の地図やスケッチなど充実したものになっています。『薄暮上陸車ヲ驅テ諸所ヲ巡覧ス.「ハバロフカ」ハ烏蘇里河の黒龍江ニ合流する右岸ニシテ北緯四十八 度二十八分、東經百三十四度三十七分の處ニ在り地形江ニ沿テ高敝ナリ地勢東ハ順流「ニコラエフスク」ニ直下スルノ便ヲ占メ南ハ烏蘇里河ニ由リテ浦潮斯徳ニ達スルノ衝ニ當ルヲ以テ近年人口稍繁殖ニ赴キシカ又一昨年此地ヲ黒龍江政區ノ首府ト定メ經營ニ從事シ道路ノ區畫、家屋ノ建築等、規模頗ル宏大ナリ聞ク人口 凡四千人ニ上レリト「コルフ」氏ノ話ニ云フ「ハバロフカ」ニ一ノ寺アリ曾テ「ムラウヨフ」ガ愛琿ニ於テ淸官ト条約ヲ議スル時ニ「ハバロフカ」ニハ既ニ露西亜ノ建物アリト宣言シ竊ニ人ヲ遣リ急ニ此寺ヲ建築セシメ一夜ニシテ成就セリト以テ露人ノ早クヨリ此地ニ注目セシヲ知ルベシ・・・・』とあります。 黒田清隆 著 『環遊日記, 上』, 1887 【p. 66】/コマ68 


http://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761045

 

その後アムール川を遡りブラゴヴェシチェンスク(8月7日)を経てスレチェンスク、チタ、ヴェルフネウジンスク(現ブリヤート共和国の首都ウラン・ウデ)、イルクーツク、クラスノヤルスク、トムスク、トボリスク、エカテリンブルグ、ペルミ、カザン、ニジニーノヴゴロドその他の町を訪れました。モスクワ(9月28日)を経て帝政ロシアの首都ペテルブルグ(現サンクトペテルブルグ、同月 30 日)に辿り着きました。ウラジオストクからペテルブルグまでのシベリア・ロシア横断旅行に要した日数は86日ぐらいでした。 

黒田清隆伯爵はロシア・シベリアを視察した後、コンスタンチノープルに赴き、ついで欧米を訪問しました。1887 年(明治20年)4 月21 日に帰国、11 月に「環游日記」全3 冊)を出版しました。帰国後、1887年(明治20年)に第1次伊藤内閣の農商務大臣となり、伊藤の後をうけて翌年1888年(明治21年)に第2代内閣 総理大臣、1892年(明治25 年)、第2次伊藤内閣の代逓信大臣となりました。)