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01.08.2016 120年前、ハバロフスクへ金時代の巨大な亀台が輸送


1896年8月(明治29年、120年前)、ウラジオストクからハバロフスクに金時代の巨大な亀台(亀趺、石亀)が運ばれました。現在、ハバロフスクの名所となった亀台は同市の郷土史博物館の前に置かれています。

19世紀後半、ニコリスク(現ウスリースク)近郊にあるフルダン・ホトン(漢語:富爾丹城)の城址内では発掘調査が行われる際、亀台(大亀の形にした台石)が2基発見されました。また発掘現場では石棺1つ、高官像2つ、ライオン像1つ、それに様々な装飾品や食器などが多数出土しました。古墳群から掘り出されたこの2基の亀台は、12世紀にこの地を支配した金王朝(女真)のものといわれています。この古墳群の中では完顔部の阿思魁Asikuiロシア語でЭсыкуй(1080~1136)という司令官の埋葬地が発見されました。

上述の亀台は中国で亀趺(キフ)と呼ばれ、功績などを刻んだ石碑、または寺への貢献を記した石碑を載せる台石です。亀趺は、もともと中国の貴族階級の風習でしたが、日本にも墓石を載せる台石も多数あるそうです。亀趺の亀は贔屓(ひいき・びし、拼音:Bìxì、正字体:贔屭)といい、中国の伝説によると、龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子のひとつで、想像上の霊獣だとされています。

後年、一つ目の亀台はニコリスクにそのままに残され、二つ目はハバロフスクへ運ばれました。重さ約6400キロを持つ二つ目の亀台は当初、ニコリスクからウラジオストクへ送られましたが、1896年、ウラジオストクからウスリー鉄道の貨物列車に乗せられ、イマンまで運ばれました。イマンからはアムール川の支流ウスリー川を通る船に積み替えてハバロフスクへ輸送されました。

亀台は始めにハバロフスクの公衆図書館の前に置かれましたが、1900年(明治33年)に同州立の郷土史博物館の本館(今の旧館)が完成した後、その建物の前に移動されました。 

出典:

Link 1

 

Link 2

 

 1928年(昭和3年)4月12日~7月13日にかけて3ヶ月間、日本の名高い考古学者・人類学者である鳥居龍蔵が極東シベリア、満州、蒙古の一部を人類学・考古学調査しました。その際1928年/昭和3年4月22日、ウラジオストク経由でハバロフスクを訪問しました。帰国後、『西利亜から満蒙へ』(昭和4年5月、大阪屋号書店)という書物を発行しました。ハバロフスク訪問の際、郷土史博物館の職員と面会し、同博物館の名物といわれるニコリスクの金代の「亀台」をスケッチしました。学術調査団員の一人であった鳥居龍蔵の娘・幸子さんが日記に次のように記しています。『博物館の入口には圖の如きニコリスクから運ばれた碑文の臺石に用ひられた亀臺が置かれてあります。この碑文は金時代のもので、ニコリスクにあったものです。この碑文は源義経に関係するものと云ふ人がございますが、それは誤った解釈だと父が申してをりました。』出典:国立国会図書館デジタルコレクション、Page 22-23、コマ番号27

 

Link 3

 

12世紀はじめに女真族の完顔部から出た阿骨打という金の初代皇帝が女真部族の統一を行い、1115年に遼から独立して金を建国しました。日本では女真名である阿骨打(アクダもしくはアグダ、1068年8月1日-1123年9月19日)に部族名の完顔を冠した「完顔阿骨打」という名でよく知られています。金王朝は、遼、北宋を滅ぼし現在の中国の北半分及び現在のロシア領内の沿海州やハバロフスク州南部を支配しました。阿骨打の挙兵に従った人物は、阿思魁 (本名は完顔迪古乃)という司令官でした。彼は金の建国や主君に功績のあった家臣の一人といわれ、“金将”にあたる司令官として知られています。出典:フリ百科事典ヴィキペディアWikipediaなど)