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05.08.2016 ハバロフスクにおける101年前の出来事、一柳洋行社は日用雑貨商店を開業


101年前の1915年(大正4年)8月、一柳洋行社はハバロフスク中心部のロマノフスカヤ街32番地(現ツルゲーネフ通り、在ハバロフスク日本国領事館付近)に日用雑貨商店を開店しました。営業種目は米、食塩、大豆、玉葱、りんご、マニラロープ、漁網、漁具、食器その他の日本商品販売でした。当時、ハバロフスクには約660人の日本人居留民が居住し、商業や運輸、サービス業など幅広く様々な業務に従事しています。

一柳洋行社(別名:一柳物産株式会社、一柳商会)の持主の一人とされる一柳仲次郎氏(1868/明治元年~1939/昭和14年)は尾張国知多郡成岩村(現愛知県半田市)生まれです。彼は三井物産社員をへて、1897年/明治30年、北海道に渡り、ニシン漁を試みたが失敗に終わった後、札幌へ移住し極東ロシアとの貿易商をしていました。当初は、ウラジオストク、ニコラエフスク、アレクサンドロフスク、ダルニー(現大連)、旅順その他の商港へ日本からタマネギ、リンゴ、ビールなど日本商品の輸出を行ないました。当時、一柳仲次郎氏は北海道実業界で野菜や果物輸出の先駆者といわれて、『タマネギ王』とも呼ばれていました。1906年/明治39年2月、ウラジオストクに海外支店として店舗を開き、ついでハバロフスク、ブラゴヴェシチェンスク、ハルビンにも一柳洋行の支店を設けました。

ハバロフスク支店の主任となったのは、福岡県福岡県遠賀郡芦屋町山鹿出身の吉永徳十氏でした。彼は1911年/明治44年7月にウラジオストクに渡航し、翌年5月、ハバロフスクに個人経営の店舗を構えて、雑貨、果物、野菜類を販売しました。欧州大戦(第一次世界大戦)勃発後、店舗の経営不振で閉店を余儀なくされることになりました。1914年/大正3年から一柳洋行と合同して対露貿易に従事しました。しかし、ロシア革命のため、1920年/大正9年12月ごろ、吉永徳十氏はハバロフスクでの居住を断念し、他の在留日本人と共に極東ロシアを離れる事になりました。

後年、一柳仲次郎氏は有力な政治家として知られるようになりました。1912年/明治44年に札幌区会議員に当選し、ついで北海道会議員、同議長に就任しました。1920年/大正9年5月に北海道より衆議院議員に初当選し、合わせて総選挙で5回連続当選し、在職12年9ヶ月に亘って議会につとめました。

出典:国立公文書館アジア歴史資料センター及びフリー百科事典『ヴィキぺディア』

 

 

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