メール サイトマップ



天気情報



GISMETEO: Погода по г.Хабаровск

GISMETEO: Погода по г.Москва

GISMETEO: Погода по г.Токио



対ルーブルの外貨両替レート


ニュース


19.08.2016 ハバロフスクにおける過去の出来事、98年前、日本人居留民が一時引揚げ


ロシア革命とそれに続く国内戦争の1918年(大正7年、今から98年前)8月中旬ごろに、連合軍によるシベリア出兵に際して、ハバロフスクをはじめ極東シベリア奥地に在留していた日本人居留民と外国の人達は、ほとんど全員一時引揚となりました。彼らはアムール川河口の港町ニコラエフスクを経由して海路でウラジオストクや北海道方面、またはアムール河(黒竜江)やその支流スンガリー河(松花江)でハルビン方面へ避難しました。これはロシア革命時の極東・シベリア地域における第一回目の奥地在住民の大規模な引揚げでした。

ロシア革命前、人口およそ5万人を超す多民族の町ハバロフスク(日本語別名:哈府)にはロシア人のほか、中国人、朝鮮人、ユダヤ人、ドイツ人、ポーランド人、エストニア人、ギリシャ人など東洋人や西洋人が隣り合って定住していて、1916年に約660人の日本人居留民も在留しました。日本人居留民は写真業、洗濯業、理髪業、小売雑貨商、貸席業などサービス業に従事していました。 

1917年(大正6年、ほぼ99年前)11月(旧暦10月)にペトログラードでは第一次世界大戦の最中、レーニンに率いられた武装蜂起が起こりました。当初はすぐにも終わると思われていましたが、ロシア全土で5年に亘って続いた国内戦争(大混乱)も勃発しました。1918年(大正7年)8月よりイギリス、フランス、アメリカ、日本(のち中国、イタリア、カナダ)を含む連合軍がチェコスロバキア軍救援を名目としてウラジオストクへそれぞれ軍隊を派遣し、シベリア出兵を展開しはじめました。ウラジオストク上陸以来、同年8月中旬~9月中旬にかけて連合軍はロシア白衛軍とともにウスリー鉄道を北上しながら進撃途中で革命派の赤軍と激しい戦闘を起こし、ニコリスク・ウスリースキー(現ウスリースク)、スパスコエ(現スパスク・ダーリニー)、イマン(現ダリネレチェンスク)、ビキンなど沿海州諸都市に広範囲に攻め込みました。ロシア白衛軍と連合軍は革命軍を奥地へ追いつめ、9月5日にハバロフスク、9月18日にブラゴヴェシチェンスクに入城しました(主力は日本派遣軍・大井成元中将の第12師団となりました)。その後、同年9月より日本派遣軍第12師団がハバロフスクに駐屯し、一般秩序を回復したことによって、一般日本人居留民の多くは間もなくハバロフスクに戻り、主に製材業並びに干草、燕麦、薪販売を中心とした陸軍御用達業の面で大成功を収めました。

しかし、革命派の赤軍と旧体制の白衛軍との間に国内戦争が続き、ハバロフスク週辺は激しい争いの現場となりました。その頃シベリアの政情が日増しに険悪になったため、1920年/大正9年9月に日本政府はハバロフスクから撤兵させることを宣言しました。同年10月、ハバロフスク駐屯の日本軍の撤退に際して同市在住の日本人居留民が帰国のやむなきに至りました。