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16.09.2016 97年前、鳥居龍蔵がシベリアを調査した際、9月17日にハバロフスクを初めて訪問


1919年(大正8年)6月8日から12月13日にかけてのほぼ6ヶ月間(今から97年前)、日本の名高い考古学・土俗学・人類学者鳥居龍蔵(1870-1953)は中国東北地方、東部シベリアを含めた東アジア地域の大規模な学術調査・探検を行いました。その際、ブラゴヴェシチンスクからアムール川(中国名:黒龍江)を下り9月17日に初めてハバロフスクを訪問し、28日まで12日間ここに滞在し、地元の学者と交流の基礎を築きました。その後アムール川河口への探検を続け、河口からまたアムール川をさかのぼり10月27日より11月25日にかけての30日間、再びハバロフスクに滞在しました。

鳥居龍蔵がシベリアへ初めて調査に行くチャンスを得たのは、ロシア全土を巻き込んだ国内戦争・外国干渉戦争の真っ最中でした。1919年(大正8年)6月8日に東京を出発し11日に 敦賀港から御用船『台中丸』でウラジオストクに向けて出港し、13日に到着しました。6月31日までウラジオストクに滞在した際、東洋学院(現ロシア極東連邦大学の前身)を訪問し、郷土史博物館で調査研究を行いながら学者と会談しました。船でアムールスキー湾のヤンコフスキー半島に渡り発掘調査を行い、またウラジオストクに戻りました。ウラジオストクから東清鉄道でハルビン、満州里を経過して6日にチタに到着しました。7-8月の2ヶ月間、ザバイカル州、イルクーツク州、中国東北部の学術調査を行いました。とりわけ内蒙古人・ブリヤート蒙古人及びザバイカル州のダウール人、バイカル湖以西の高地や中国東北部に住むオロチョン人、ソロン人などの生体測定、土民の風俗習慣に関する博物館での資料研究、興安嶺一帯及びスレチンスクにおける石器時代遺跡の踏査や発掘などが行なわれた結果、非常に豊富かつ貴重な人類学的・考古学的資料が採集されました。スレチンスクから汽船でシルカ川とアムール川を下り、9月6日に露中国境地帯の商業都市ブ市(ブラゴヴェシチェンスク)に到着しました。郷土史博物館に蒐集されたモンゴル系の民族ダウール族の土俗品、ヤブロノヴイ山脈の北方地域やレナ川流域に住むチュルク系の民族ヤクート族の土俗品を研究しました。ブ市滞在中、11-12日、アムール川の対岸に渡り日本人居留民経営の宿屋に泊まり愛輝城(現黒龍江省黒河市)を調査し、13日にブ市に戻りました。                               

9月17日早朝、汽船でハバロフスクに到着し、竹内一次という居留民経営の旅館に泊まりました。鳥居龍蔵がハバロフスクを初めて訪問した当時、同市には日本人が相当に在留していたようで、さらに日本領事館も設置され、シベリア派遣軍第14師団の司令部、海軍基地がありました。彼は、ハバロフスクを訪問した際、次ぎのように綴りました。

 『ハヾロフスクの市街に入って、日本人經營の竹内旅館に投じた。余は此の日から二十八日まで十二日間ここに滞在した。...余が此のハヾロフスクに就いて最も注意したのは、即ち博物館と圖書館である。博物館は地學協會の管轄であって、沿海州黑龍江の標本が大變集まって居り、是非とも我々の見なければならぬ博物館である。此の博物館は東部西伯利に於ける模範的博物館と云はれる位であって、其の陳列の標本は非常に充實して居る。...ハヾロフスク駐在の我が杉野領事からも紹介状を得、殊に同氏は、余が此處に到着した翌日即ち十八日に余と同行して博物館を訪ひ、色々斡旋の勞を取られた。...殊にハヾロフスクの市街は露西亞人であるけれども、足一度び市外にお出でて小流れのあるあたりを逍遥して見ると、露西亞人でないツングース民族が彼處此處に住まって居る。...次に注意すべきは、ハヾロフスクの町から少し離れて黑龍江の岸に接した處に露西亞の海軍の本據地が設けられて、ドックなども出來て居ることである。其處に今日本の海軍が這入って居るのである。余は其處に駐在して居る我が司令官などに大變世話になって、色々便宜を得て其の附近を調べる事となった。ハヾロフスクの附近には堡寨のやうな跡がある。又堡寨を應用して土城でも設けたといふやうな跡がある。此等はいつ時代のものであるか分からないが、何れ靺鞨或いは少なくとも金―女眞あたりのものではないかと思ふ。...尚ほハヾロフスクの附近に有史以前即ち石器時代の遺跡が彼處此處に存して居る。茲に注意すべきは、黑龍江に架かって居る鐵橋の渡り口に存在して居る遺跡である。...』と記しています。 

出典: http://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/982232

P255-267  (コマ#167-173)

ついで9月下旬、鳥居はツングース系の民族ゴリド人(現ナナイ人)やギリヤーク人(現ニブヒ人)やネグダ人(現ネギダール人)が古くから住むアムール下流の調査を行いながら全流域を航して10月3日にアムール川河口の港町ニコラエフスク(尼港)に辿り着きました。

10月21日、 ニコラエフスクを発船し、黒龍江をさかのぼり、再びハバロフスクに赴き、10月27日 到着しました。郷土史博物館でスケッチ、撮影、図書館で図書を翻訳、学者と意見交換、書籍・論文などの蒐集、買い入れを実施しました。石器時代の遺跡を踏査しました。11月25日にウスリー線の汽車でウラジオストクに向けてハバロブスクを出発し、28日に ウラジオストクに到着しました。ついでニコリスク(現ウスリースク)付近にある渤海・女真時代の土城の調査を行い、7日早朝ウラジオストクに戻りました。12月8日、ウラジオストク港から船『新高丸』で出帆し、日本海を渡って10日に敦賀に入港しました。12月13日、 東京に帰着しました。

1921年/大正10年6月下旬より再び遠征の途に上がることになり、北樺太(現サハリン北部)やアムール川下流地域の探検を行いました。8月3日、無事に東京に帰着しました。鳥居龍蔵は帰国後、『人類学及人種学上より見たる北東亜細亜、 西伯利、北満、樺太』(岡書院、1924年/大正13年)という書物を発行しました。

出典:『人類学及人種学上より見たる北東亜細亜、 西伯利、北満、樺太』鳥居竜蔵 著(岡書院、1924)

http://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/982232

参考までに、アムール川流域に住む北方少数民族の歴史、文化およびアムール川をめぐる環境問題などを題材としたドキュメンタリー映画『数千年を経たる水路・アムール川』(2004年公開の映画)をご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=Hgtd2nNZUdI