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09.06.2017 ハバロフスクにおける過去の出来事。163年前の6月12日、元東シベリア総督が今のハバロフスクの建設に場所を選定


19世紀半ばの元東シベリア総督であった、またハバロフスクの創立者といわれるニコライ・ムラヴィヨフ・アムールスキーは最初の探検を行った際、163年前の1854年(嘉永7年)6月12日、アムール川にその支流ウスリー川が流れ込む合流点のすぐ下流に入り、今のハバロフスクという町の建設に適切な場所を選定しました。ムラヴィヨフが上陸した場所では祈祷が執り行われました。このとき、ムラヴィヨフは45歳でした。ハバロフスクの郷土史学者によると、ムラヴィヨフが上陸した場所は現在、彼に因んで名づけられたムラヴィヨフアムールスキー中央公園となっています。

彼は1847年(弘化4年)にエニセイ県知事兼東シベリア総督に就任後、帝政ロシアの東進政策に大きな影響を及ぼしました。東シベリアと極東ロシア、特にアムール川流域の開拓や植民化のために絶大な努力を払ってロシア領土の大幅な拡大に成功しました。1858年(安政5)5月28日(ユリウス暦5月16日)に清国とアイグン(璦琿)条約を締結したことで有名となりました。また1859年9月、彼はコルベット艦『アメリカ号』をはじめとする軍艦7隻を率いて江戸湾の品川に来航し日本幕府とも千島列島とサハリンに関する交渉を開始しました。

アイグン(璦琿)条約調印後、ムラヴィヨフ・アムールスキーの命令によってディヤチェンコ大尉に率いられたシベリア第13大隊の兵士たちがアムール川とウスリー川との合流点へと送られ、ハバロフカ村(今のハバロフスク)が築かれました。

1891年(明治24年)5月、ハバロフカ村の中央公園の展望台「ウチョース(絶壁)」のすぐ側にムラヴィヨフ・アムールスキー伯爵の偉業をたたえて立派なブロンズ像が建てられました。この銅像は帝政ロシアの優れた彫刻家アレクサンドル・オペクーシンが制作したもので、盛大に開催されたその除幕式には、極東巡遊を行なったニコライ皇太子が臨席しました。しかし、ソビエト政権樹立後の1925年/大正14年1月26日、この銅像が取り壊され、その代わりにソ連の創立者といわれるレーニン像が建てられました。1993年(平成5年)にムラヴィヨフ・アムールスキー像が新たに元の台座へおさまって、再びハバロフスクの名所となりました。

ニコライ・ニコラエヴィチ・ムラヴィヨフ=アムールスキー伯爵(ロシア語:Николай Николаевич Муравьёв-Амурскийニカラーイ・ニカラーイェヴィチュ・ムラヴィヨーフ・アムールスキイ;ラテン文字転写の例:Nikolai Nikolaevich Muraviyov-Amurskii、1809年8月23日(ユリウス暦8月11日) - 1881年11月30日(ユリウス暦11月18日)はロシア帝国の優れた政治家、外交官、軍人として知られています。出典:フリー百科事典『ヴィキペディア(Wikipedia)』