メール サイトマップ



天気情報



GISMETEO: Погода по г.Хабаровск

GISMETEO: Погода по г.Москва

GISMETEO: Погода по г.Токио



対ルーブルの外貨両替レート


ニュース


29.06.2017 ハバロフスクにおける過去の出来事。127年前、ロシアの文豪チェーホフがハバロフスクを訪問


今から127年前の1890年6-7月、ロシアの文豪アントン・チェーホフはモスクワからサハリン島まで旅をした際、ハバロフスクを訪問しました。この頃、チェーホフは30歳になったばかりの人で、まだ作家の芽生えに過ぎませんでした。                              

日本ではチェーホフがユーモア短編小説の作者として、また戯曲『かもめ』(1896年)、『ワーニャ伯父さん』(1899年~1900年)、『三人姉妹』(1901年)、『桜の園』(1904年)の劇作家としてよく知られています。

1890年4月21日、チェーホフはロシアの雑誌『ノーボエ・ブレーミャ (日本語表記 新時代、英文表記New Times)』の新聞記者としてモスクワ・ヤロスラヴリ駅発の列車に乗り込んで、流刑囚調査のため80日以上のシベリア・サハリン大旅行に出発しました。汽車や馬車や船を乗り継ぎながら、同年7月中旬にかけてニジニーノヴゴロド、ペルミ、チュメニ、トムスク、クラスノヤルスク、イルクーツク、スレテンスク、および東部ロシアの町ブラゴヴェシチェンスク、ハバロフスク、ニコラエフスクなどヨーロッパ・ロシアの中央部、シベリア・極東ロシア各地をまわる、最果ての地サハリン島までの大旅行を実施しました。チェーホフがシベリアを旅した当時は、東部ロシアは九州をはじめ日本からの出稼ぎ労働者の目的地となり、ここで特に『からゆきさん』と呼ばれる日本人女性が娼婦としてたくさん働きました。ブラゴヴェシチェンスクを訪問中のチェーホフがからゆきさんの一人に接したことは思い出の手紙に残された事実です。

1890年6月30日から7月1日にかけての2日間、ハバロフスク(当時ハバロフカ)を訪問中のアントン・チェーホフが見学をしながら同市駐屯部隊の将校集会所を訪れ、図書室が所蔵していた図書・雑誌・新聞の閲覧を楽しんでいました。この建物には極東美術館が置かれており、外壁にチェーホフの調査・旅行を記念した金属版が張ってあります。その写真は本ページの一番下に掲載されています。現在、ハバロフスクにおいてチェーホフ辻公園・記念碑建設運動が行われています。https://todaykhv.ru/news/culture/6058/

1泊2日の短い日程でハバロフスクに滞在した後、汽船「ムラビヨフ・アムールスキー号」に乗りアムール川を下り、7月5日にアムール河口の港町ニコラエフスクに着きました。ニコラエフスクから汽船『バイカル号』で間宮海峡を渡り、7月11日にサハリン島のアレクサンドロフスク(亜港/あこう)に到着しました。

様々な困難を乗り越えてサハリン島の流刑地で3ヶ月を過ごした後、10月13日に南サハリンのコルサコフ(日本統治時代に樺太の玄関となる港湾都市の大泊)を出港しウラジオストク港へ向かいました。ついで海路で中国の上海、香港、シンガポール、スリランカのコロンボ、イエメンのアデン、エジプトのポートサイド、トルコのコンスタンティノープル(現イスタンブール)を経て52日間に及ぶ世界旅行をしながら帝政ロシアの黒海の港町オデッサに辿りつきました。(当時コレラが大流行していた日本には停泊しませんでした。)帰国後、同年『サハリン紀行』という有名な作品を書きました。

アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(ロシア語Антон Павлович Чехов:アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ/ラテン文字(英文表記)Anton Pavlovich Chekhov、1860年1月29日・タガンログ-1904年7月15日・ドイツのバーデンワイラー)は、ロシアを代表する劇作家であり、短編小説家。現在はノヴォデヴィチ墓地に葬られている。出典: フリー百科事典『ヴィキペディア (Wikipedia)』。


リンク