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11.07.2017 ハバロフスク史上における過去の出来事、130年ほど前にロシア帝国海軍大臣が極東ロシアを初めて訪問し、黒田清隆伯爵と会談


131年前の1886年(明治19年)ロシア帝国海軍大臣イワン・シェスタコフ(Ivan Alexeevich Shestakov、1820~1888)海軍中将(のち海軍大将、提督)は海路オデッサからインド洋を経て朝鮮沿岸を巡航しウラジオストックまで旅をした際、6月下旬から7月中旬にかけて極東ロシアの2大都市ウラジオストック、ハバロフスクを視察しました。両都市にとって最大のの出来事の1つとなりました。彼は帝政ロシアの優れた政治家や海軍軍人、また作家として知られていました。

ウラジオストックを視察中のシェスタコフ海軍中将はハバロフスク駐在のプリアムール州総督(別名:黒龍江政区総督)アンドレイ・コルフ陸軍中将・男爵のほか軍関係者との意見交換を行い、ウラジオストック港周辺海域や綏芬河を視察しました。またウラジオストック市議会から名誉市民の称号を授与されたイワン・シェスタコフ海軍中将は、同市開基後、初めての名誉市民となりました。

さらに彼はウラジオストックを訪問中の明治時代の政治家・陸軍中将の黒田清隆伯爵と会談しました。

(*黒田清隆のロシア訪問について。1886年/明治19年6月23日に黒田清隆伯爵は随行者6人と共に横浜を出発し、途中長崎、釜山を経由し、シベリア横断旅行を行う。7月 7 日,ウラジオストックに上陸。ついで海路を取り、サハリン島及びアムール川の河口にあるニコラエフスク・ナ・アムーレを訪問。その後アムール川を遡り、7月27日ハバロフスク、ついでブラゴヴェシチェンスクを経てスレチェンスク、チタ、イルクーツク、クラスノヤルスク、トムスク、トボリスク、ペルミ、ニジニーノヴゴロドその他の町を訪れる。その後、モスクワを経て9月30日、サンクトペテルブルグまで辿り着いた。出典:黒田清隆著 『環遊日記、上』, 1887)

http://www.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/761045/24?tocOpened=1

ハバロフスクを訪問した際、イワン・シェスタコフ海軍中将はプリアムール州政府関係者や多数の市民の盛大な歓迎を受け、極東ロシア各地域大会に参加しました。

1882年(明治15年)に海軍大臣に就任した後、黒海艦隊の再建、およびバルチック艦隊やシベリア小艦隊の増強に尽力しました。イワン・シェスタコフは極東ロシア訪問後、ウラジオストク軍港の建設やウラジオストック・ハバロフスク間のウスリー鉄道建設の開始に向けた準備を進めました。

5年後の1891年(明治24年)5月31日/旧暦5月19日、ウラジオストックにおいて、ハルビンを経由する東清鉄道を含むルートやウラジオストック・ハバロフスク間のウスリー鉄道を含むルートからなるシベリア横断鉄道の起工式が挙行されました。その式典に参加したのは日本に立ち寄ったロマノフ王朝の皇太子ニコライ(のち帝国ロシアの最後の皇帝ニコライ2世)でした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%95